◎趣味・娯楽・気晴らし・はしゃぐ・笑う
「sport」という言葉の語源は、ラテン語の「deportare」(デポルターレ)だそうです。「portare」(運ぶ)から「de」(離れる)、つまり「仕事とか義務から離れる」こと。休息・気晴らし・遊びって意味ですね。
英和辞典で「sport」を引けば、「競技スポーツ」とともに、「趣味・娯楽・気晴らし・はしゃぐ・笑う」などの意味も出てきます。
スポーツをするのも、見るのも、根本は「趣味・娯楽・気晴らし・大はしゃぎ」だと考えれば、スポーツにつきまとう「激しさ」「厳しさ」「ストイックさ」なんて堅苦しさが消えていきます。誰にとっても楽しい「お祭りの場」なのです。
◎お祭りを楽しむ気分
女子サッカーのワールドカップが終わりました。なでしこジャパンは準優勝の大活躍でしたから大きな注目を集めました(安易なスポーツメディアは、すぐ「日本中が注目した」などと過剰な表現をしますが、冷静に考えればそんなことがあるはずがなし)。
サッカーファンの中で実際にプレーしたことのある人ってどれくらいいるのでしょう。野球も大相撲も同様。「その競技のプレー経験がない人がファンの大部分」でしょう。だから「趣味・娯楽・気晴らし・はしゃぐ・笑う」がスポーツの本質だと考えると納得がいくのです。
もちろん、スポーツ観戦のもうひとつの柱は「頑張っている人を応援したい」という感覚です。これは人間の特長のひとつ。
「自分たちが応援したから、彼女は(彼は)一流になった」
自分が役に立った満足感ですね。「他者の役に立つ喜び」は、人の本能ですから。
とはいえ、ワールドカップでのスタンドやテレビの前の観衆のはしゃぎっぷりは、やっぱり「趣味・娯楽・気晴らし・はしゃぐ・笑う」。思い思いの応援グッズ、顔には国旗などのカラフルなペインティング。歓声・悲鳴・叫び声・笑い声。どこかで見たような雰囲気ですね。そうです。完全に夏祭りなのです。応援以上に「お祭り会場で目いっぱい楽しもう」の感覚でしょう。いいんです、それがスポーツの本来的な意味なのですから。
◎「サッカーを文化に」への支援とは
なでしこたちの待遇面のせつなさが話題にのぼります。
「国内リーグは観客が乏しく、先行き不安だろう」
「年収が普通のOL以下のプレーヤーも大勢いる」
「昼間は生計を立てるための仕事、夜はサッカー練習。よくも世界トップにまで」
女子サッカーは、興業として成り立っていません。
スポーツメディアは「もっと試合を見に行って、支援してほしい」と主張しますが、国内リーグの女子サッカー観戦が楽しければ、言われなくても観衆は集まります。
興業として成立していない理由は「趣味・娯楽・気晴らし・はしゃぐ・笑う」の条件が満たされていないからにほかなりません。
「なでしこのプレーが、見る者に感動をもたらしてくれるのだから、精一杯応援しようではないか」
その掛け声はさほどの意味なし。プロに甘えは禁物です。人が集まらないのは、観衆を引き付けるなにかが欠けているからにほかなりません。
国際試合のように「スタンドに行くと、あまりにも楽しくて」と大勢の人が集まり、結果としてなでしこたちへの経済的支援となるような環境をととのえる。つまり興業として成立させるには、リーグ自体がどんな手をうつべきか。具体策を講じなければ、なでしこたちが望む「サッカーを文化に」は夢のまた夢。