2015年08月17日

大量のじゃがいもを減らしたい

15日は、ラグビーの日本代表対世界選抜戦「スカパー生中継」を見るため、いつものおじさんたちが我が家に集まって、テレビ観戦宴会。
 下仁田の「傘寿の葱」の瀬間さとさんからいただいた大量のじゃがいもを「すこしでも減らそう」と、おじさんが好きなポテトサラダをメニューの一員に。
 余ったので、翌16日の夕食にも。
 皿にレタスとポテトサラダ。脇にトマト。葉ショウガもあったので、葉っぱを切らずに、そのまんま盛り付け。それなりに豪快です。

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 市内中心街の居酒屋のおやじさんが好きなのですが、ポテトサラダに「ウスターソース」「中濃ソース」などをかけて食べるやり方。15日は、これが好評でした。なかには「しょうゆをかけてみょう」と挑む人も。
 16日は、かみさんも「では私もやってみようっと」と。

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 みんな、ポテトもソースも、しょうゆも好きなのですね。
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2015年08月13日

梁に花器を

5月に岩手県陸前高田に行ったときに、コンビニで売ってた700円程度の日本酒のガラス瓶が、妙にかわいいので、そのままとっておきました。何に使うガラス瓶だったけなあ? 海岸の照明か、海産物の養殖だったっけかの用途の道具のはずですね。詳しいことは忘れました。ソフトボール大の丸いガラス瓶。
 でも、この瓶を花器にしたら楽しいだろうなと思い立って、自宅のリビングの上の方にある「梁」にぶら下げて、いくつか花を挿してみました。

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 ソファに座って一息つくと、ちょうど視界に入ってくる位置。
「よい思いつきじゃわい(^^)/」と自画自賛。
 写真を撮ってみて、「しまった」。
 写真の奥が玄関なのですが、収集場に出すつもりのごみ袋を置きっぱなしにしていたのに気付かなかったのであった。
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2015年08月11日

早く「こ」を持ってきてよ

◎「こ」って、なんだあ?

「今日は、うどんか。早く『こ』を持ってきてよ」。聞いたことがありませんか? 「こ」という言葉。
刻みネギ・おろしショウガやワサビ・ゴマ・ゆでた青菜やナス・刻んだ薄揚げ・ゴボウのきんぴら。さらにはカボチャの煮つけ・煮豆・かき揚げ。うどんを食べるとき、麺つゆの椀に入れます。間違いなく薬味。この薬味を群馬県では「こ」と呼びます。

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「群馬県民は『薬味』という標準語を知らないんだろう」。こう言われたら、その人の「無知さ」を憐れみながら、諭してあげましょう。
「辞書を引いてごらんなさい」と。
広辞苑を開くと「粉(こ)」のところで、「こな」の意味の次に出てくるのが、「薬味」です。でも群馬以外で薬味を「こ」とは言いません。ですから、薬味に関する伝統的日本語文化を、唯一守り続けているのが群馬県人だということです。

◎人にやさしい食文化

 家族や来客に大皿の手打ちうどんを。お腹いっぱい食べてもらって喜ぶ顔が見たいから、さまざまな「こ」を小分けして、主役のうどんに対して脇役の風情で食卓に並べたのが、奥ゆかしい群馬県人。「薬味についても、群馬には日本一の文化あり」と胸を張れるのですよ。

◎酒飲みの悪癖

 ただ、自宅での夕食で、こんなバリエーション豊かな「こ」を並べて、まず一杯飲み始めると、これがいい肴になるのでありまして、ビール、日本酒と次々に。
 いい気分に酔っぱらって、うどんを食べる頃には、ネギ・ワサビ・ゴマしか残っていない。酒飲みの「悪癖」ですなあ。(^_^;)
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2015年08月10日

年に一度の

◎年に一度のかみさん孝行

 ゆうべは中心街の「やたい家」(佐野さんという青年が、一生懸命やっています。はやりの、フレンチの色合いを加えた創作和食って雰囲気ですね。)で、かみさんと夕食。一応、今月が「結婚記念日」の月なので、「年に一度」の豪華な外食。
 長い間、よくも見捨てられずにきたもんです。と自分自身で胸をなでおろしているのです。

 その趣旨を佐野さんに伝えておいたので、感動的な品が次々に。
 もろこし豆腐、うにプリン、アワビの蒸し煮(これは、うなる味わい)、フォアグラ茶碗蒸し(けっこうあっさりしてました)、牛タンの角切りソテー(そこらの焼肉屋では出てこない牛タンでした)、アジの棒ずし、揚げアマダイのお茶漬け……。
 年に一度のかみさん孝行の食事ですから、こうでなくちゃいけませんがね。(^^)/
 せっかくの食事なので、美しい料理の写真を撮るのも、やや無粋かとも思って、自分の記憶の中に。

 自宅の花器にいける花は、意図的に「花束にして、包み紙もリボンもそのまま、例の「お化けワイングラス」型の花器に。
 これはこれで、味わいがあろうかとも。

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 年に一度だしね(^^)/


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2015年08月03日

政治と信仰心、いつもみんなで語らないかい?

◎「高3で投票権」なのに、政治話題がいけないって?

 当然出てくる展開です。
山口県の県立高校で安全保障関連法案を授業で取り上げたことに関して、県議会が疑問視したり、県教委が「学校への指導が不十分だった」と言ってみたり。
 高校3年生に選挙権が与えられるというのに、学校で政治の話を深められないとしたら、若者はいったい何を判断材料にして投票するというのでしょうか。
 国民の暮らしを、国の明日を左右するのが「政治問題」にほかなりません。通常の教科以上に力を入れるべき話でしょう。
 ってなことくらいは、教育委員会も分かっていることでしょうね。でも議会から追及されるとすぐに萎縮してしまう。この体質は、行政の問題のひとつです。
 いえいえ、行政にとどまりません。日本社会全体の問題でしょう。

◎政治と宗教の話は……とオトナは言いますが

 僕は、ずっと不満に思ってきました。
何にかって? 
 まるで、僕たち国民を洗脳するかのように、社会で繰り返されてきた言い回しに対してです。
「政治と宗教の話はご法度」
 これ、当たり前のようにみんなが口にしますよね。
 冗談も休み休み言ってほしい。
政治と信仰という、人間の生活にとって根本的なテーマについて、「人が集まる場では、口にしないほうがよい」と、日本人は「しつけられて」きました。それが「大人のたしなみだ」くらいの言い方で。
「お上のやることに、口出ししない」
 これも同質の問題ですね。
 こういう言い回しが、なにを招いたのでしょうか。
「意見対立を招くことは、極力避けよう」
「難しいことは言わないで、『なあなあ』でいきましょうよ」
 豊かに生きるための真摯な議論を、まるで「悪」であるかのように誤解させる風潮ですね。
 その挙句の、「政治的無関心層の増大」「生きてゆくために欠かせない哲学の欠如」「政治家や役所、大企業などによる、やりたい放題の世の中」という今の日本の無責任社会です。
 それぞれが人生哲学を、というか、「自分自身、いかに生きるか。なんのために生きるか」についての考え方ですね。これを築いてゆくうえで欠かせない「政治」「信仰(「宗教」と表現すると、ごく一部の悪徳宗教のイメージから抵抗があるでしょうから「信仰」としましょう。既存の宗教でも、土着の民間信仰でも、原始的な自然崇拝でもなんでも。要は「心のよりどころ」について考えようということ)」について真剣に考えることを避けてきた結果が、今の無責任社会を生んだことは間違いないでしょう。
「政治と宗教の話はご法度」は、飲み屋の中での「接客ルール」や、そこでの「客同士の暗黙のルール」じゃないですか。酒に酔って、このテーマの言い合いになると、ヒートアップした挙句に喧嘩になるからです。
 それ以外のあらゆる場で「政治」「信仰」についてきちんと考える。それ抜きに「責任ある社会」など望むべくもなし。

◎だって、誤解する人が多いから

 以前、ある異業種交流会で、事務局が「この会は、ビジネス成果を出すための交流会。政治と宗教の話はNG」と明文化したことがありました。会員のひとりが「経営している会社を早く卒業して、私は人の生き方を考える宗教家になりたい」と発言したら、「おかしい考えの人だ」と退会勧告が出たことがありました。勧告を出した方こそ、とんでもない勘違いです。
「人としての哲学を抜きにして、売り上げのことだけ語り合う会に、なんの意味があるのか」と、僕もばかばかしくなって退会したことがありました。
 哲学が欠如したままのビジネスで、どれほど多くの社会的損害が出ていることでしょうか。
 でも、依然として今日の社会も「政治と宗教の話は……」なのです。

「宗教の話は……」が招いた結果として、笑うに笑えない展開も出てきます。
 友人が自社に建物を建てるために、地鎮祭のような儀式を行うことになりました。その友人が「尊敬しているお寺の住職お願いしたい」と言ったら、周囲が「お坊さんなんて、お葬式みたいで縁起が悪い……」。
 工事の無事を祈るのに「神道」はよくて、「仏教」は縁起が悪い。
 これも「宗教の話は……」の弊害のひとつでしょう。

◎真摯な語り合いこそが

 こうなったら、世の中のあらゆる場で「政治と信仰の話を積極的にしよう、考えていこう」という風潮をつくることが、問題点改善の特効薬になると思いませんか?
「考える」ことに背を向けるかのような世の中です。
「人の心や立場を思いやること」にも背を向けるかのような世の中です。
 僕たちの世の中には、数えきれないほどのいろんな考え方があります。自分以外の人のさまざまな意見を謙虚に聞く。理解する。語り合う。自分でも調べる。そういう作業を通して、自分自身の考え方や価値観をかためる。生きてゆく上での大きな力にする。
 画一的な考え方や価値観の押しつけなど、あってはならないことですよね。今日の「ヘイトスピーチ」などや、ネットでの中傷合戦みたいなことは、論外なのですが、人として必要な「学び」を重ねるには、「政治」「信仰」は、もってこいのテーマではないでしょうか。
 重ねて言いたいのですよ。
「学校、会社、町内会、交流会……。あらゆる場で、積極的に政治を、信仰を、真摯に語り合おう」
 たしかに、アルコールが入っている時は、やめた方がいいでしょうがね。
 僕自身、酔って「真剣な議論」になると、歯止めが利かなくなるタイプだし(-_-;)

posted by katsuhiko at 16:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記