2016年01月26日

私色の歌声って何色? 永井美加さん


 素敵な女性に出会いました。
 ソプラノ歌手の永井美加さんです。以前からステージを拝見していたのですが、じっくりとお話がしたくて、先月末に2時間ほど時間をつくってもらいました。
 そのインタビューをもとに、「月刊 たかさき毎日」1月号に載せた記事が、次のようなものです。

永井美加さん写真.JPG

◎歌の道で生きてゆきたい

 自分の人生を高めてくれた出会いがいかに多かったか。つくづく感じる。世界三大テノールのプラシド・ドミンゴが歌う姿、師事したフランコ・リッチャルディ氏、ベッリーニ大歌劇場常任指揮者のレオナルド・カタラノット氏、日本歌曲の塚田佳男氏ら。元々はピアニストを目指して音大に学んだ自分が、ソプラノ歌手となった今、改めて振り返ると。
「大学に入る前でした。『オテロ』(ヴェルディ作曲)を歌うドミンゴの姿を見て、『歌の道で生きてゆきたい』と直感しました」

 音大入学後、父親が病に倒れた。看病と大学生活、そして卒業。ピアノはそばにあっても「歌手」とは無縁の日常。しかし20代後半になっても直感が消えなかった。
「2000年に思い切ってイタリア・ミラノに短期留学。そこで出会ったリッチャルディ先生の指導が人生の分岐点に。2006年にはシチリアに飛び、カタラノット先生に出会う幸運を手にしました。先生に自分が気づいていなかった『声の幅の広さ』を見つけていただき、『本能で歌え』とアドバイスを受けました。ふたりの先生が歌手への道を開いてくれたんです」

◎オペラと日本歌曲、双方の魅力を追って

 以来、様々なステージに立ち、日本歌曲にも積極的に取り組む。日本人の機微が伝わるのは、やはり日本の歌だから。
「感情をこめ過ぎるくらいに歌ったつもりが塚田先生から『もっとやれ』のお叱り。『落葉松(からまつ)』『平城山(ならやま)』……、『日本歌曲の方がオペラより情念がこもっていて、激しく濃いのだから』と。衝撃的な言葉でした」

 17世紀はじめ、イタリアでオペラが、日本で歌舞伎が生まれた。華やかさ、激しさ、情念……、あまりにも共通するふたつの音楽文化の誕生は偶然ではないのでは。だからオペラと日本歌曲の探求を自らに課す。
「声には色があるといいます。ならば私色の歌声は何色なのか。それを追い求める旅が人生。『全身全霊をかけて歌う』私と、聞いてくださる方との『感情の共有』を繰り返しながら」

 彼女の魅力のナン分の一かは、引き出せたかな?

 永井さんは、昨年秋にご結婚されたばかり。
「家事も一生懸命やってますよ。歌の仕事、家庭の役割……、すべてが私というひとりの人間を成長させてくれるはずですから」
 いいなあ、こんなふうに目を輝かせながら語る人って。
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2016年01月25日

最近、楽しいことありましたか?

◎楽しいことがないなんて

 いろんなところへ行き、いろんな人に会うたびに、「最近、楽しいことありましたか?」と聞いたりします。
 「失われた20年」と言われる、不況の中のここ20年。それ以前の時代は、誰に聞いても「そうですねえ、こんな楽しいこと、いいことがありましたよ」という返事がかえってきたものです。でも、この10年、20年というもの、とくに若者世代が「楽しいことなんてあるわけないですよ」の返事ばかり。これも、今の日本社会の現実かもしれません。
 ですから、僕自身、楽しいことがあっても口にすることを控える傾向にあります。

◎西平井で講演

 昨日、実家のある藤岡市西平井の公民館で講演してきました。
 戦国時代に、平井城という城があり、関東官僚・上杉氏が支配して、人口8万人の城下町として栄えていたという資料があります。
 当時の関東一番の大都市・鎌倉をしのぐという人口規模です。
 つまり「日本株式会社」の本社が京都(室町幕府)。重要な営業エリアの関東を統括する「関東支社」が鎌倉。その関東支社を補佐する第二支社が、藤岡市の平井地区だったって話。
 そんな「資産」を生かしながら「群馬の逆襲、西平井の逆襲」をすすめようというテーマです。

 その冒頭で、「最近、楽しいことありました」と誰もが言えるような雰囲気を取り戻そうと主張。
 僕自身の楽しいこととして、
1 歌集を出版した友松稔さんの奥様からいただいた「たくわん」があまりにもおいしくて、このところ、ご飯・汁・たくわんの「一汁一菜」の食事に喜びを見出していること。漬物やご飯の威力を再認識できたことがうれしい。汁は「具だくさんのけんちん汁」みたいな豪華なものですね。
2 明和県央の女子ラグビー部員・須田澪奈さんとラグビーボールでパスの練習ができたこと。なにせ、ラグビーボールを手にしたのは20数年ぶりのこと。「ビューン」と飛んでくスクリューパスも投げられたことが、うれしかった。58歳のおじさんが、17歳の女子高生と語り合っていたら、おまわりさんが飛んできそうですが、僕はインタビューの仕事。仕事冥利につきますなあ。
3 先週金曜日に、明和学園短大の「現代社会と食」の授業で、90分の講義が終わり「はい、きょうはこれで終了」と言ったら、大勢の学生から、一斉に拍手をもらったこと。
 いつもは「このおじさん(だって、学生の親より僕の方がずっと年上なんですから)、なにを言っているの」といった雰囲気のまなざしが珍しくないのですが、いやあ、うれしかったなあ。
 
 といった3点の話をしました。

 冒頭は、こんな「お笑い」で。あとは「郷土愛とプライドこそ」の、いつもの僕の主張ですが、西平井のみなさんには、どう響いたことでしょうか。
 この日は「講演会」ですから、終了時には100名以上のみなさんからおおきな拍手が。
 冒頭に明和短大の話をしたので、「拍手を強要したことに」なってしまいましたかね(^^)/
 
 集まってくださったみなさんは、年配の方が大部分でした。
 ですから、実はこんな話もしたかったのですが、省いてしまいました。

◎粉食王国は「世界一の食文化王国」の証明

 粉食王国・群馬という言い方は、群馬県庁などが率先して、「群馬の独自性のアピール」として使っています。
 すると、「奥ゆかしい」と言えば聞こえがいいのですが、実際は「宣伝下手・自慢下手」の群馬県民の中には、こう言う人も出てきます。
「粉食王国? 小麦の粉を食べるのが自慢になるのか? 地味すぎないか?」
 もっともっと、肉や魚を駆使した「派手な料理」でないと、インパクトに欠けるのではないか。そんな疑問です。
 でも、じっくりと考えてみましょう。
 小麦粉を中心に、粉食は「世界の主流」でもあります。米の粒食がアジア地域にほぼ限定される(ピラフ・リゾット・パエリアといった例外はありますが)のに対して、穀物の粉食は世界五大陸を制覇したと言ってもいい状況に間違いなし。
 でも、米の粒食文化圏に住む僕たち日本人は、大昔から「米の粒食」とともに「麦の粉食」を十二分に味わってきました。米の粒食と麦の粉食を両立させてきた「度量の広さ」「考え方の柔軟さ」「料理の器用さ」を備えていたと言えるでしょう。しかも「粉を練って焼いたパン」も、「粉を練って煮た麺も」「蒸した饅頭」も、自分たちの味にしてしまいました。
 その意味で、粒食王国地域における「粉食王国」を名乗ることは、食文化に関して「世界で最も自由で創造的な感性を備えた人」に与えられる名誉ある称号にほかなりません。
 群馬が「日本を代表する粉食王国」であると名乗ることは、「世界屈指の食文化王国である」と高らかに宣言していることを意味しています。そういう気概が欠かせないのです。ですから「粉食王国? 地味だなあ」なんてボヤいている暇などないのです。「粉食王国」の真の意味と価値を、ほかならぬ群馬県民全員がしっかりと認識しなければ、なんとももったいないことなのですよ。

◎健康長寿と群馬の食 

 群馬は野菜生産王国です。キャベツ、キュウリ、ハクサイ、ネギ(冬場限定の下仁田ネギも含め)、トマト、コンニャク……。味も生産量も、全国屈指です。
 日本伝統の「米の粒食」に加えて、世界中に広がった「小麦の粉食」も自前の文化に育て上げ、さらに良質の野菜が加わった「ウルトラ健康食」が群馬の伝統食文化であるわけです。その証拠が「全国屈指の健康寿命王国」という数字にも表れています。
 健康寿命は、WHO(世界保健機関)が2000年に提唱した指標で、「日常生活において、自力で支障なく送ることができる期間」を示しています。日本人は世界一の長寿国で平均寿命が女性86・61歳、男性80・21歳と、ともに80歳代に乗っています(2013年)。この平均寿命は、健康でも体が不自由でも、とにかく「命ある限り」の年齢ですね。
 これに対して健康寿命は「自立できる」ことが条件で、日本の場合女性73・62歳、男性70・42歳といった状況です(2010年)。これは、シンガポールについて世界2位のようです。
 2013年時点で日本の女性が75・56歳で、日本の男性が71・11歳と、男女ともに健康寿命は世界1位になったという話もあります。いずれにしても、世界のトップクラスということです。
 そして、この健康寿命(2010年の数字です)を都道府県別に見ると、男女総合トップが静岡県なのです。女性75・32歳(1位)、男性71・68歳(2位)です。
 そこで「お茶どころ」の静岡県庁は強くアピールします。
「日本茶を毎日たくさん飲んでいるから、静岡県民は年を重ねてもみんな健康なのです。お茶こそが健康長寿の薬です」
 なるほど。分かりやすい話です。お茶の効能についてはよく言われますが、さらなる研究が必要なようですね。総合2位が愛知県です。
 群馬県は全国3位の健康寿命を誇ります。女性75・27歳(2位)、男性71・07歳(10位)。
 ですから僕は、こんな仮説を立てています。
「日本伝統の『米の粒食』に加えて、世界中に広がった『小麦の粉食』も自前の文化に育て上げ、さらに良質の野菜が加わった『ウルトラ健康食』たる伝統食を食べているから、群馬は健康寿命がすぐれているのではないか」
 群馬が誇る郷土食・伝統食を大切に継承しながら、こんな仮説を実証することもまた、「全国屈指の知名度の低さ」を誇る(?)群馬の「逆襲」につながると確信しています。

 本日おみえになったみなさんも、この日本人の平均健康寿命をこえている方が大勢いるようにお見受けします。
 僕の両親も、毎日、畑に出ています。ともに80代ですから、平均健康寿命を超えています。

 高齢社会は「問題」なのではありません。「豊かな経験と知識、バランスのとれた判断力」にあふれた人が社会的にどんどん増えているということなんですね。 
 ですから、みなさんのような方々が、「西平井の逆襲」のおおいなる担い手であると思います。

 こんな話もしたかったのでした。


◎立派な花をありがとうございました。

 立派な花束もいただきました。お正月の花が終わったので、花屋さんに行こうかと思っていただけに、助かりました。
 さっそく自宅に持ち帰って、花器ふたつに活け替えました。

平井城保存会からもらった花1.JPG

平井城保存会からもらった花2.JPG


 西平井のみなさん、保存会のみなさん、寒い中で駐車場案内役をしてくれた平井中の同級生折茂広文くん、司会をしてくれた同級生の平井隆くん、ありがとうございました。
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2016年01月22日

大雪ですが、この冬の初雪はネパールですでに

 やぱり「大雪」でしたよね。月曜日と水曜日。仕事と、短大の授業準備がどうにも忙しくて、事務所周辺の雪かきはしましたが、自宅は放りっぱなし。
 きのう、木曜日の午前が短大の食文化史の授業でしたので、それを終えて、いったん帰宅。
 1時間半ほどまわりを雪かきしました。
 いやいや、間違い。雪かきではなく「氷かき」です。
 路面の雪はカチンカチンの氷となっていて、スコップで突っついても、なかなか通用しません。
 まあ、とりあえず両隣の人が歩けるスペースや新聞配達・郵便配達などの人が危険でない程度に「かいて」、あとは「溶けるにまかせよう」と。

 雪と言えば、この冬の「初雪」は、標高3900メートルのエベレストビューホテルでした。
 朝起きたら、目の前が真っ白。登山口の町・ルクラに戻るヘリは「飛ばない」とのことです。
 仕方がないから、テラスに雪だるまをつくりました。「まあ、今シーズンの初雪だしなあ」。
 真ん丸の顔ではなく、細長い顔に。暖炉の炭で目鼻口は定番。
 かなり人間っぽくなたので、僕は従業員のみなさんに「ホワイトブッダだ。ブッダが坐禅しているように見えないかい? 日本では、みんなこうやってつくる。日本人も敬虔なブッディストなのだから」と、真っ赤なウソを言いつつ。

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 旅行者の丸山さんは、ホテルの部屋に「こたつ」をつくってくれました。

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 温風機の前に簡易送風管(これ、カインズホームでも売ってることを、後で知りました。そういえば、藤岡市の親も使っているのを見たことがあります)を置いて、その送風管から「温風」をテーブルに毛布を掛けた「即席こたつ」に送り込む仕組み。これは「気分最高でした」。
 雪がやんで、晴れてきたら、窓の外にはエベレスト。それをコタツに入りながら眺める。
 粋なもんです。
posted by katsuhiko at 11:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年01月15日

25年ぶりにラグビーボールを

 約25年ぶりに、ラグビーボールを握りました。昨日。
 この間の「全国高校ラグビー」の開会式直後に行われた「18歳以下女子日本代表」の東西対抗戦に出場した明和県央2年の須田澪奈さんに、「悲願の花園」の感想と、今後の夢などを聞くために、グラウンドにおじゃました際のこと。

 インタビューを終えて、ボールをかかえた澪奈さんの写真を一枚。そのあと彼女と何回か「パス」のやりとりを。
 今はなんて言うのでしょうか? 僕がラグビー少年だった時代は「スクリューパス」なんて表現しましたが、味方にパスするボールに回転をつけて放る、そうすると素早く、遠くへパスが届く。そんなスクリューパスを、僕自身の身体が覚えていました。
 なんか、40年も前の高校時代を思い出して、涙があふれそうになりました。
 本当は、そのままボールを持って走り出したかったのですが、成田仁監督や、ほかの男子部員も大勢いたので、そこまではできませんでした。

 やっぱりラグビーはいいなあ!

 その澪奈さんは、「憧れの花園でのプレー、スタンドは満員。緊張していて、あっという間に試合が終わってしまいました。力を出し切れなかったかなという思いはありますが、本当に楽しい経験をしました。今まで以上にラグビーが好きになりました。1年後も出場できるように頑張ります」
「オリンピックは7人制(セブンス)ですが、セブンスよりも15人制の方が、自分に向いていると思います。大学では15人制を続けながら、一番の夢の教師の道に進む勉強をしたいと思います。15人制のワールドカップですか? もちろんそれも夢ですね。自分自身を高めるためにも」
 毎晩、酒におぼれるおじさんとは、目の輝きが違います。

 とはいえ、その瞬間だけ、僕自身が少年に返ることができたのでした。

 澪奈さんが笑顔で語る写真は、1月26日発行の「月刊 たかさき毎日1月号」をお楽しみに(^^)/
posted by katsuhiko at 12:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年01月14日

昨年に続き、また繭玉飾りを

 昨年に続いて、繭玉飾りを作りました。
 前回は赤と緑の繭玉だけでしたが、今回は水色と黄色の繭玉も加えました。

 繭玉を挿している木は、藤岡の実家の裏庭にあったものを切ってきました。父親曰く「なんという名前の木だったっけなあ」という、赤い小さな実のようなものが鈴なりの木です。僕にしても植物とか木に詳しくないので、名前は分かりません。
 とにかく2メートル弱の枝です。
 さらに先月の「石井悦巳さんお別れの会」の会場に飾った「故人の庭の柿の木の枝」を、実だけ取り除いて、そのまま使いました。

 今回は、リビングの「カポックの木」の手前に繭玉飾りを置いて、カポックを「借景」にしてみました。

繭玉飾り2016.JPG

 人間の目で見るときわめて美しいのですが、僕の素人写真では、「借景」がかえって邪魔になって、繭玉飾りの美しさがうすまってしまったような。
 後日、写真の専門家に撮ってもらい、保存資料にしようかと。

 来週の、明和短大での「現代社会と食」(前後期通しの30回の授業)の最終回を任されているので、その授業の中で、話題にはあげられるかと。
posted by katsuhiko at 14:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記