さて、ネパールの代表食ってなんですか。そう聞いてみたら、地元の人は「家庭で日常食べるのは、ダルバートだね」と。
ダルバートって何? どうやら、炊いた米飯とスープの、和食で言う「一汁三菜」に近い食事のようでした。
言うまでもなく日本は「コメの国」。稲作が伝来した3000年も前から、僕たちは必要な栄養の大半を米に頼ってきました。「米には精霊が宿る」と神格化さえしてきました。
伝統の一汁三菜、いえいえ、一汁一菜で、ご飯を何杯も。
そうやって長い歴史を重ねてきました。
庶民の食卓に豊富な種類のおかずが並んだのは、戦後の高度経済成長以降の話です。ですから米飯を「主食」と言い続けてきたのです。 もちろん日本にとどまらず、稲作起源の地である中国、そこから広まった朝鮮半島や東南アジア、そしてインド地方まで、多彩な米食文化が根づいています。
だからネパールも、家庭料理の代表としてダルバートがあるのですね。
ダルバートは、豆のスープ(「ダル」。これが日本で言えば味噌汁みたいな、食事に欠かせない存在です)・炊いた米飯(バート)・カレー味の肉か野菜料理(タルカリ)・漬物(アチャール)で構成されます。米飯にスープをかけて、現地流であれば右手の人差し指・中指・薬指をスプーンのように使って、すくって食べます。ぼくも試してみましたが、これはなかなか難しい。
これがダルバートです。左端がダル。その右がチキンのカレー煮、その右がジャガイモなど野菜の炒め煮。右端がバート。
ダルやバート、そして料理を自分のお皿に盛って、「いただきます」。
ダルはバートにかけます。汁かけ飯ですなあ。
指で食べるかどうかはさておき、日本もネパールも米食文化圏です。地域は遠く離れていても、「一汁三菜」が伝統的に根づいているあたり、米の偉大さとともに「同じ人間、考える事は変わらないなあ」という親しみも感じさせてくれます。
ネパールの言葉で「おいしい」は「ミトチャ」です。「ナマステ」(こんにちわ、こんばんわ)、「ミトチャ」、「ダンニャバード」(ありがとう)を繰り返して食べながら、そんな思いにひたりました。
TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)交渉の進展で、日本の農業や食事情はどう変わってゆくのでしょうか。自由な貿易は大原則です。でも食糧自給率がきわめて低い日本で、農業の未来を考える時、「効率一辺倒」でよいのか、悩むところです。農業県でもある群馬県民として、2016年はその点を真剣に考えなければなりません。
2016年01月13日
2016年01月08日
自身がないなあ、は、自信がないなあでした
今日入力した文章の「写真間違ってないかなあ。自身がないなあ」は、「自信がないなあ」の間違いですね。
最初は「地震がないなあ」と変換ミスしてました。気づいて直したつもりで、アップした後、また見たら「まだ、間違えてるじゃん」。
もっとも「自身がないなあ」は確かですよね。僕自身は写っていなくて、山だけですから(なんのこっちゃあ)。でも、エベレストビューホテル玄関で、自分の姿があるので、これ以上さらしたくないのでありました(^^)/
最初は「地震がないなあ」と変換ミスしてました。気づいて直したつもりで、アップした後、また見たら「まだ、間違えてるじゃん」。
もっとも「自身がないなあ」は確かですよね。僕自身は写っていなくて、山だけですから(なんのこっちゃあ)。でも、エベレストビューホテル玄関で、自分の姿があるので、これ以上さらしたくないのでありました(^^)/
とにもかくにも、エベレストは美しい
真面目にブログを更新しないものだから、ネパール道中は、どこまで書いたか忘れてしまいました。
過去の内容を見てみたら、標高約3900メートル(すでに富士山より高いのですね)のエベレストビューホテルのヘリポートに到着したところで途絶えていたのですね。
このエベレストビューホテルというロッジは、40年以上も前に、現在のエベレスト観光開発という会社の社長である宮原巍(みやはらたかし)さんが建てたものです。当時も今も、車道などない標高3900メートルの山村の丘に、資材を手作業とヤク(牛)の力で運んで建てたものらしいのです。
元々、大学の山岳部出身という「登山家」の宮原さん。人生の情熱の大半をネパールに注いでいます。今ではネパールに帰化しています。もう80代ですが、お元気そのもの。
「60歳のときに、還暦のエベレスト登頂を目指したんですが、8848メートルの山頂まであと数十メートルのところで、眼底出血を起こして断念した」
そんなふうに笑顔で言います。
さてさて、このホテルからエベレストがハッキリと見えるのです。高崎から浅間山を見ているような距離感というか、そんな雰囲気で見える山がエベレスト。
今まで、飛行機の窓越しに見たことはありましたが、自分の目で直接見たのは初めてです。
これは、なかなかの光景です。
下の写真の、奥の方に見える雪交じりの山。山頂らしきピークが、ふたつ写っています。その左側がエベレストだそうです(写真、間違ってないかなあ。自身がないなあ(-_-;))。
「なかなかの光景」などと、やや冷めた調子で言うのは、僕の性格が「感動欠乏症」だからです。
子供のころから今日まで、「心の底からの感動」を味わったことにない(いやいや、感動すべきことに出くわしても、そう感じる能力に欠けているのでしょうね(^^♪)僕だけに、世界最高峰を目の前にしても、
「そりゃあ、世界中誰もが知っている山だから、美しいわいなあ」
と、自分でも情けないような、盛り上がりに欠ける感情なのですよ。
同行のオジサン、オバサンたちは、歓声を上げながら写真を撮りまくっているのですがねえ。
僕も、あんなふうになりたいなあ。
ともかく、この先の人生で再び見ることがあるかどうかわからない光景であるし、素晴らしいには違いないのです。そういった「自分の自分史年表に特記すべき旅にきているのだ」という想いは、ちゃんとあるのですよ。
群馬に暮らしていて、雪の浅間山、雪の谷川岳を見ても、群馬県民は「美しい」とは感じても、心が震えるまでにはいかないですよね。
エベレストにしても、雪に覆われた山の美しさという意味では、同質でしょう。
ただ、「登山家以外の僕ら一般人は、一生に一度、見られるかどうか」の希少性と、やはり「世界最高峰」という、同じく希少性から、感動を手にするということではないですか。
現地に暮らす人が、ヒマラヤの名山を見ても「だからどうした。子供のころから見飽きた風景だ」という感想を持ちます。よく分かるなあ、その気持ち……。
などなど、うっとおしい理屈が頭の中をうごめいていて、どうも「心が震える」に行きつかない自分の性格を呪うばかりであります。
とにもかくにも、「エベレストは美しかった。ある意味、神々しいと言ってもいいかもしれない」。これは紛れもない事実でありました(^^)/
過去の内容を見てみたら、標高約3900メートル(すでに富士山より高いのですね)のエベレストビューホテルのヘリポートに到着したところで途絶えていたのですね。
このエベレストビューホテルというロッジは、40年以上も前に、現在のエベレスト観光開発という会社の社長である宮原巍(みやはらたかし)さんが建てたものです。当時も今も、車道などない標高3900メートルの山村の丘に、資材を手作業とヤク(牛)の力で運んで建てたものらしいのです。
元々、大学の山岳部出身という「登山家」の宮原さん。人生の情熱の大半をネパールに注いでいます。今ではネパールに帰化しています。もう80代ですが、お元気そのもの。
「60歳のときに、還暦のエベレスト登頂を目指したんですが、8848メートルの山頂まであと数十メートルのところで、眼底出血を起こして断念した」
そんなふうに笑顔で言います。
さてさて、このホテルからエベレストがハッキリと見えるのです。高崎から浅間山を見ているような距離感というか、そんな雰囲気で見える山がエベレスト。
今まで、飛行機の窓越しに見たことはありましたが、自分の目で直接見たのは初めてです。
これは、なかなかの光景です。
下の写真の、奥の方に見える雪交じりの山。山頂らしきピークが、ふたつ写っています。その左側がエベレストだそうです(写真、間違ってないかなあ。自身がないなあ(-_-;))。
「なかなかの光景」などと、やや冷めた調子で言うのは、僕の性格が「感動欠乏症」だからです。
子供のころから今日まで、「心の底からの感動」を味わったことにない(いやいや、感動すべきことに出くわしても、そう感じる能力に欠けているのでしょうね(^^♪)僕だけに、世界最高峰を目の前にしても、
「そりゃあ、世界中誰もが知っている山だから、美しいわいなあ」
と、自分でも情けないような、盛り上がりに欠ける感情なのですよ。
同行のオジサン、オバサンたちは、歓声を上げながら写真を撮りまくっているのですがねえ。
僕も、あんなふうになりたいなあ。
ともかく、この先の人生で再び見ることがあるかどうかわからない光景であるし、素晴らしいには違いないのです。そういった「自分の自分史年表に特記すべき旅にきているのだ」という想いは、ちゃんとあるのですよ。
群馬に暮らしていて、雪の浅間山、雪の谷川岳を見ても、群馬県民は「美しい」とは感じても、心が震えるまでにはいかないですよね。
エベレストにしても、雪に覆われた山の美しさという意味では、同質でしょう。
ただ、「登山家以外の僕ら一般人は、一生に一度、見られるかどうか」の希少性と、やはり「世界最高峰」という、同じく希少性から、感動を手にするということではないですか。
現地に暮らす人が、ヒマラヤの名山を見ても「だからどうした。子供のころから見飽きた風景だ」という感想を持ちます。よく分かるなあ、その気持ち……。
などなど、うっとおしい理屈が頭の中をうごめいていて、どうも「心が震える」に行きつかない自分の性格を呪うばかりであります。
とにもかくにも、「エベレストは美しかった。ある意味、神々しいと言ってもいいかもしれない」。これは紛れもない事実でありました(^^)/
2016年01月03日
花園出場の須田さん、よかったね
◎悲願成就の須田澪奈さん
昨年のラグビーワールドカップで日本代表が予想を超える活躍をしたことで、このところ低迷していたラグビー人気が復活しています。
元ラグビー少年の僕としても、喜ばしい限り。
「聖地・花園ラグビー場」での全国高校ラグビーに挑んだ県代表・明和県央は初戦の土佐塾に圧勝しましたが、次戦の佐賀工に敗れ、目標の「シード校撃破」は次回への宿題となりました。監督の成田さん、また頑張ろうね。
毎年、花園の開会式直後に開かれてきた7人制の東西対抗「U18花園セブンズ」ですが、今回から15人制に。この「もうひとつの花園」を目指してきた明和県央ラグビー部の須田澪奈さん(2年)とは今年7月にラグビー談議に花を咲かせましたが、彼女は念願かなって東軍のフランカーとして先発出場を果たしました。
須田さんがフランカーで先発。得意のタックルを中心にした果敢なプレーを見せてくれました。走り込んでくる相手を倒し、厳しいタックスに倒され、自らを鼓舞するように叫ぶ。彼女の姿は迫力満点でした。
よかったね、須田さん。
須田さんとは、近くお会いして、花園の感想や、今後の抱負をうかがいます。
◎女子ラグビーの可能性
この試合は20分ハーフでしたが、女子ラグビー発展への「おおいなる可能性」を感じさせるものでした。「積極的に飛び込むタックル」「密集でボールに絡んで奪い取ろうとする今日的スキル」「ボールを徹底して生かそうとするパスワーク」など世界で戦うために必要な意識とスキルを「U18日本代表クラス」がきちんと備えていることがよく分かる展開だったからです。
僕がルールも分からんままに走っていたのは40年前。「もう化石の世界だなあ」と、やや情けなくなりました。
試合は2トライ対1トライで西軍の勝利。ほぼ互角のいい戦いでした。
日本の女子ラグビーは、歴史は古い(ナント、明治時代の1988年に日本女子ラグビーフットボール連盟が発足しているのです)ものの、現在の競技人口は3000人台と、まだまだ「発展途上」です。
世界では男女の15人制ワールド杯が続いており、7人制は今年のリオ五輪で正式種目になりました。日本男女も出場します。
女子は2017年にアイルランドで開かれる15人制ワールド杯出場を目指します。2019年には男子15人制ワールド杯が日本で開かれます。復活したラグビー熱をさらに盛り上げるためには、女子の底辺拡大と強化は大切な課題です。
男子のスポーツと思われがちなラグビーですが、女子も着実な歩みを続けています。次シーズンも見逃せません。
おっと、まだまだ、「今シーズン」でしたね。
大学選手権決勝、日本選手権と、僕はもっぱら「テレビ観戦」ですが、あと、ふた月は楽しみが続きます。
録画した試合を見ながら酒飲むのだけが、僕の息抜きですからね。
昨年のラグビーワールドカップで日本代表が予想を超える活躍をしたことで、このところ低迷していたラグビー人気が復活しています。
元ラグビー少年の僕としても、喜ばしい限り。
「聖地・花園ラグビー場」での全国高校ラグビーに挑んだ県代表・明和県央は初戦の土佐塾に圧勝しましたが、次戦の佐賀工に敗れ、目標の「シード校撃破」は次回への宿題となりました。監督の成田さん、また頑張ろうね。
毎年、花園の開会式直後に開かれてきた7人制の東西対抗「U18花園セブンズ」ですが、今回から15人制に。この「もうひとつの花園」を目指してきた明和県央ラグビー部の須田澪奈さん(2年)とは今年7月にラグビー談議に花を咲かせましたが、彼女は念願かなって東軍のフランカーとして先発出場を果たしました。
須田さんがフランカーで先発。得意のタックルを中心にした果敢なプレーを見せてくれました。走り込んでくる相手を倒し、厳しいタックスに倒され、自らを鼓舞するように叫ぶ。彼女の姿は迫力満点でした。
よかったね、須田さん。
須田さんとは、近くお会いして、花園の感想や、今後の抱負をうかがいます。
◎女子ラグビーの可能性
この試合は20分ハーフでしたが、女子ラグビー発展への「おおいなる可能性」を感じさせるものでした。「積極的に飛び込むタックル」「密集でボールに絡んで奪い取ろうとする今日的スキル」「ボールを徹底して生かそうとするパスワーク」など世界で戦うために必要な意識とスキルを「U18日本代表クラス」がきちんと備えていることがよく分かる展開だったからです。
僕がルールも分からんままに走っていたのは40年前。「もう化石の世界だなあ」と、やや情けなくなりました。
試合は2トライ対1トライで西軍の勝利。ほぼ互角のいい戦いでした。
日本の女子ラグビーは、歴史は古い(ナント、明治時代の1988年に日本女子ラグビーフットボール連盟が発足しているのです)ものの、現在の競技人口は3000人台と、まだまだ「発展途上」です。
世界では男女の15人制ワールド杯が続いており、7人制は今年のリオ五輪で正式種目になりました。日本男女も出場します。
女子は2017年にアイルランドで開かれる15人制ワールド杯出場を目指します。2019年には男子15人制ワールド杯が日本で開かれます。復活したラグビー熱をさらに盛り上げるためには、女子の底辺拡大と強化は大切な課題です。
男子のスポーツと思われがちなラグビーですが、女子も着実な歩みを続けています。次シーズンも見逃せません。
おっと、まだまだ、「今シーズン」でしたね。
大学選手権決勝、日本選手権と、僕はもっぱら「テレビ観戦」ですが、あと、ふた月は楽しみが続きます。
録画した試合を見ながら酒飲むのだけが、僕の息抜きですからね。