高崎市田町で、オリジナルアクセサリー制作、貴金属リフォームの「金銀屋」を営む戸塚茂良(とづか・しげよし)さんです。
実は、あさを社の本のカバーデザインをしてくれる、デザイナーの戸塚佳江さんのお兄さん。
僕たちオジサンが、ビジネスでスーツを着ないことが「オシャレ」になってから、3年以上がたつでしょうか。夏場のクールビズだけでなく、僕も年間通してスーツ・ネクタイというスタイルがなくなりました。
ジャケット・シャツ・パンツが日常の仕事着になったため、多少は派手目のジャケットを買ったりと、けっこう苦労しているのです。
スーツを着なくなると、必然的に「カフスボタン」を使わなくなります。
若いころからこのカフスボタンが好きで、かなりの数を持っているのですが、「出動機会」が」ほぼゼロに。
そこで思いついたのが、「お気に入りのカフスボタンを、ジャケットの襟につけるピンバッジ(ラペルピン)に改良したらどうか」ということ。
それができる人を探していたら、「灯台下暗し」。身近に戸塚さんのような職人さんがいたわけです。
7〜8個、リフォームしてもらいました。
両親が30年前に沖縄旅行に行った際に、お土産に買ってきてくれた紅サンゴのカフス(写真の一番手前)。かみさんの父親(故人)が愛用した船の長靴の形のカフス(その左奥。これは、ふたつの長靴を、ひとつにくっつけるリフォームをお願いしました)、舵の形のカフス(その奥)。これらを含めて、いくつかをピンバッジ用にリフォームしてもらいました。
楽しく使っています。
楽しさついでに、「月刊 たかさき毎日」3月号1面で、こんなインタビュー記事を書きました。
「伝えたいのは 愛、ぬくもり」
私だけのマリッジリング、ネックレス、ピアス
貴金属もリフォームして、親から子へ、孫へ
戸塚茂良さん
指輪、ネックレス、カフス……。思い出深い、大切なアクセサリーをリフォームして親から子へ、子から孫へ。そんな要望が多い。貴金属に詰まっているのは、美しさやデザイン以上に「愛」や「ぬくもり」。
「母の指輪の石を娘がペンダントに。祖母のイヤリングを孫娘がピアスに。亡き父のカフスボタンを娘がピアスに、息子がピンバッジに。家族の温かさを感じる愛用品を、工夫して使い続けたい。これは家族ならではの愛情ですね」
大学卒業後に家業の農業に携わったが、その頃ある彫金師と知り合って弟子入り。趣味で始めたつもりが職業に。最初は自宅で始め、30歳で「ジュエリー工房ブレシア」を開いた。手作りの、オリジナリティーあふれるマリッジリングなど「私だけのアクセサリー」を提供し続けた。12年後に現在地に。商都の真ん中に移るのだから店年前に舗名もクラシックな「金銀屋」にした。
「商人の町ですから、北イタリアの都市名であるブレシアより『お江戸見たけりゃ、高崎田町』とうたわれた雰囲気がそぐうのかなと。これは、妻の提案でした」
かつての大量生産・没個性の時代から、個性重視・リフォーム重視の世の中になった。人が本来の暮らし方を真剣に考えている証かもしれない。
「ブレシア時代にマリッジリングをお作りしたお客様が、金銀屋の私を探し出してリフォーム依頼しにきてくれました。『生まれ変わらせて、娘の指輪にしたいから』と。駆け出し時代の、私からすればつたない作品なのですが、お客様は『娘にも、孫にも使い続けてほしい』と気に入ってくださってのご要望。職人冥利につきます」
素材、デザインについて、客と向き合い、その言葉はもちろん、胸の内にある細かな要望を理解して、ひとつの形に仕上げる日々。
「心の底から満足され、子や孫にプレゼントしようとまで思っていただければ、それは私への最高の評価。家族の宝物作りに、『街の小さな小さな鍛冶屋』が役立っているのですから」
街の小さな小さな鍛冶屋さん、これからもよろしくお願いします。