2016年06月30日

すみれが教えてくれたこと

◎群馬わんにゃんネットワークのフォーラム

 捨てられた犬や猫の保護、里親探しなどの活動を続ける「特定非営利活動法人群馬わんにゃんネットワーク」(飯田有紀子理事長)と高崎市が5月に開いた動物愛護フォーラム『いのち』で、理事の山田由紀子さんが「高崎市における動物愛護の現状」と題してミニ講演をしました。その中でひときわ印象深かったのが、「すみれ」という犬のお話です。「このフォーラムのことを、いろんな場で広めてもらいたい」という主催者からの声もあったので、その「すみれ」のお話を書き留めておきます。

【以下は、山田さんの講演】

◎「命をあきらめない」勇気、元気、笑顔
 高崎市動物愛護センターに収容されていた「すみれ」は、今年3月初旬に新しい飼い主さんに迎えられました。しかしその後、そのお宅から逃げ出してしまいました。私たちに「迷子になった」という知らせが届いたのは譲渡した日からわずか1カ月。そして数日後「発見された」という連絡が入りました。でも、私たちは喜ぶどころか、すみれの姿に、我が目を疑いました。左手と左足は切断され、尻尾もかなり負傷していたからです。

◎事故で大けが
 線路内で発見されたとのことで、電車にはねられた事故と判断されました。第一発見者が警察に連絡して、警察官によって保護されました。
 しかし、その日は土曜日。保健所との連絡が取れず、そのままの状態で応急的な措置もされないまま、拾得物扱いに。「遺失物」として、丸2日以上をおそろしいほどの苦しい痛みに耐え、不安と恐怖におびえながら、長い2日間を耐えしのんだのです。
 すみれは、迷子札もマイクロチップもつけていました。しかしこの確認をしてもらえないまま、夜は誰もいない真っ暗な場所で、襲いかかる痛みに懸命に耐えていました。

◎「生きよう」
 月曜日になってやっと保健所の職員と連絡が取れ、すみれは飼い主さんと再会することができました。しかし、飼い主さんが下した判断は「安楽死」でした……。
 私たちは、もちろん「安楽死などさせるべきではない」と訴えました。それは、すみれを見れば分かります。彼女は「生きよう」と丸2日間も懸命に死の恐怖と闘っていたのですから。
 すみれは、私たちの団体の手元に戻り、すぐに救命のための手術が行われました。片方の手と足、そして尻尾は完全に失われました。でも、かけがえのない命は無事に保たれました。

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 命ある限り、最後まで責任を持って見つめてください。それが動物愛護です。負傷したからとか、介護が大変だからとか、そんな人間の身勝手な理由で、命をあきらめないでください。

◎車いすで「走れた」
 すみれは2度、人から見捨てられました。それにもかかわらず、私たちを威嚇することもなく、うなることもなく、むしろ体を寄せてきてくれます。この精神性の高さを、私たち人間は学ぶべきだと思います。
 すみれの事を知った大勢の方々から、応援メッセージ・お見舞い・ご寄付をいただきました。力強い支援のお陰で、彼女の車いすをつくることができました。今、再び元気に走り回っています。そして、やっと明るい笑顔を取り戻しました。

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◎一番の願いは
 あきらめたら、すべては終ります。すみれが私たちの心を動かし、元気な姿を取り戻したのは、私たちがすみれに心を動かされたからです。
「けっして生きることをあきらめない」、その姿に私たちは勇気をもらい、元気をもらい、そして生かされています。
 私たちの一番の願いは、1日も早く「命が物として扱われることのない世の中」になることです。すみれも心からそう願っていることでしょう。
 今後も、すみれの応援をよろしくお願いいたします。
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2016年06月29日

家庭料理がおいしい秘訣って

◎家庭料理がおいしいわけは
 10代の大学生と「わが家の味」について議論しました。
「母が入院中、父親が食事の用意をしてくれた。毎日焼きそば。父が唯一できる料理だが、まずかった。でも忘れられない味」
「落ち込んでいた私を救ったのが母の『魔法の豚汁』です」
「白菜嫌いの僕の好き嫌いを直したくて、白菜たっぷりの餃子をつくった母」
「試験、部活、発表会。私の大切な日の前の晩、母は必ず野菜のポーク巻きをつくってくれた」
 などなど。家庭料理がすたれている。そんな言い方をしがちですが、僕のまわりには、そんな主張を覆す「豊かな家庭料理」が続々と。 

 必ずしも、プロの料理人がつくるような洗練された品ではない。でも、おいしさが忘れられない。その理由はなんでしょうか。
 僕は「母親のマカロニサラダ」とひと言。
 かならずしも、料理が得意ではなかった母親。夫婦で野良に出て、夫より1時間だけ早く帰ってきて、風呂を沸かして食事の支度をして。そんな日々です。料理がうまくなるなんて夢のまた夢。でも、息子を料理で喜ばせたい。考えてみれば、昔の農家の食事なんて、「ひらがな素材」ばっかり。だいこん、はくさい、ねぎ、いも……。
「野良仕事に家事に忙しい母親が『貧しい食生活の中にカタカナ素材が入っていれば、息子がオシャレだと感じるかも』と考えた末の定番料理。その気持ちだけで、おなかが一杯になった。だから今でも、マカロニサラダが無性に食べたくなる時があるんだ」。
 全員が静まり返りました。
 若者にもおじさん世代にも、家庭料理をおいしくさせる秘訣は共通しているようです。
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2016年06月27日

『情報を捨てる勇気と表現力』が完成しました

◎ケータイ・スマホの奴隷にならないように
 新刊『情報を捨てる勇気と表現力』(言視舎・東京都千代田区)が完成しました。『群馬の逆襲シリーズ』をはじめ、さまざまな企画本について肩を組んで世に送り出してきた盟友である言視舎・杉山尚次社長のご高配で実現した出版です。

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 インターネットネット全盛時代です。既存のメディアから、そしてネットから膨大な情報が洪水のように押し寄せてきます。ケータイやスマホも手放せません。いや、手放せないというより「ケータイ・スマホの奴隷になっている」かのような日常です。ネットやSNSの弊害も明らかになってきました。
「24時間いつでもつながる社会」はきわめて便利であると言える反面、「人間社会を壊しかねない危険性を持つ」状況であることは間違いない。そんな気がしています。

◎「文章が主役」のネット社会だからこそ表現力を
 新聞を読まない、本を読まない。そう言われながら、ネットやSNSの世界では「文章なしには」成立しません。しかし、おじさん世代の僕たちからしたら「暗号文のやりとり」であるかのような言葉や記号の往復。
だからこそ、現代社会は「文章の、そして話し言葉での表現力が強く求められる時代」であると言えはしないでしょうか。
 そのためには、子どもも、若者も、年配の人も、僕たち一人ひとりがどうしたらよいか。そんなことを考えて「不必要な情報を捨てる勇気を持つためには」「文章や言葉による表現力を磨くには」の具体論をみなさんに投げかけてみました。

 教壇に立つ明和学園短大(前橋市)の後期授業「生活と情報社会」では、教科書として意義づけもしました。
 子どもや若者世代にも、働き盛り世代へも、そして僕より年配の方々へも、「せわしい日々の中で、心のどこかでこんなことを考えて、情報を取捨選択し、表現力を磨きませんか」「それか、誰にとっても楽しくて、暮らしやすい世の中の実現につながるはずですから」と呼びかけたくて、出版したものです。

◎「タメ口(ためぐち)」も、「ね」「ん」「じゃ」も、あえて多用して
 中でも、これから社会を担う若者世代に叫びたいがために、「タメ口(ためぐち)」口調の語り言葉で表現してみました。
「公私の『公』では、使うべきではない!」と日頃僕が主張しているのが「ね」「ん」「じゃ」などです。でも今回は、これを多用した「失礼千万」の文章です。文書制作ソフトの「ワード」についている「校閲機能」でチェックしたら「くだけた表現です」の警告が無数に入る文章です。すべては「肩の力を抜いて、考えてみませんか」という狙いです。



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2016年06月14日

桃栗三年、柿八年か?

◎玄関先のやまももに実が
 おととい、かみさんが玄関先で「うわあ、実が鈴なり」と叫んでいます。なにごとかと、外に出ると、そこに4年ほど前に植えてもらった「やまももの木」に、実がたくさんついているのですよ。たしかに鈴なり状態ですね。
 きちんと手入れしたものではありません。ほったらかしでした。なんとなく3メートルほどには育っています。常緑樹で雰囲気がいいからと、葉っぱしか印象にありませんでした。
 実は、若いものが緑色、熟したものは真っ赤に。ためしに真っ赤な身を口に入れてみました。軽くすっぱい梅干しみたいな味。「甘ずっぱい」までいなかい感じ。専門の栽培農家の作品のようにはいきません。

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◎室内にも少し飾ってみましょう
 隣のお宅の敷地に、枝がはみ出しているため、実がいくつか落ちてご迷惑をかけるといけません。はみ出ている部分だけ枝を切り取り、花器にいけてみました。
 まあ、これはこれで、一週間くらいはいけるのではないですか?
 玄関先のやまももの姿は、なかなかのものです。
「桃栗三年、柿八年」ってホントですね。

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2016年06月07日

「兄貴」の涙

◎自分史の達人
 小さな出版社を運営している僕たちは、いろんな人たちの自分史や回想録を出版しています。ですから僕は、この分野では「自分史の達人」と称しています。
 自分史の達人になると、なにがいいか? 
 編集を通してその著者の全人生や人間そのものに踏み込むため、ご本人やご家族と「あまりにも密な人間関係」、つまり家族同様か、それ以上の間柄になれることです。
 ということで、僕には実の親以外に、何百人もの「父親」や「母親」、あるいは80代、90代のガールフレンドたちがいます。
 しょっちゅう食事のお誘いがかかります。
「里芋と大根を煮たのよ。食べに来ない?」と77歳のガールフレンドから電話がかかります。
「今日は朝から天気がいいわよ」と92歳のガールフレンドから、僕のケータイにメールが。自分の孫とやりとりしたくて、メールの打ち方を覚えたのだそうです。
「おしゃれなバッグがあったから、買ってきたわよ」と「息子」にプレゼントを持ってきてくれる「母親」がいます。むろん、この人には「母の日」にお返しのプレゼントを持っていきました。
 ですから「両親」と「ガールフレンド」の数は、おそらく僕が県内でナンバーワンだと思います(^^)/。

◎「兄貴」の本をつくる年に……
 僕が30代のころは、自分の「おじいちゃん」「おばあちゃん」の自分史を作っている気分でした。
 40代から50代では、これが「おとうさん」「あかあさん」になったわけです。
 そして、いよいよ「おにいさん」「おねえさん」の自分史をつくる年代にさしかかってきました。
 5月に完成した「元郵便局員 ゴルフ馬鹿一代記」の原章さん(本庄市)は69歳になったばかり。僕より約10歳上ですから、まさに「兄貴」ですね。
「原の兄貴」なんて言と、なつかしの任侠映画みたいですね。高倉健とか菅原文太みたいな。(^^)/
 そういう事態を迎えたわけです。

◎「頑固おやじ」の目に涙
 5日に、原さんの出版記念祝賀会を本庄市内で。
 中学・高校の同級生やゴルフ仲間による手作りの、あったかなパーティー。
 ステージに立っていた原さんは、何度かみんなに背を向けて、涙をぬぐっていました。
 実のお姉さんから花束をもらう瞬間。高校の同級生から「揚げたり下げたり」の友人ならではの粋な祝辞をもらったとき……。
 こんな光景に出会うと、「僕の仕事も捨てたものではないなあ」といった満足感に浸れます。

 原さん、そして奥様、お嬢様のみなさん。おめでとうございました。
posted by katsuhiko at 12:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記