2016年07月07日

草津の「母」に会ってきました


 自分史制作の仕事をしていると、実の両親以外に、かぞえきれないほどの「父や母」を手にします。自分史の編集を通じて、著者の人生に踏み込むことになるため、本が完成した後も「著者と編集者」ではなく、「親子」のような気分で密なおつきあいが続くのです。
 これは、この仕事の最大の魅力かもしれません。

 草津最古の温泉・日新館。ここの女将さん・湯本艶子さんは、2013年秋にエッセー集『湯宿つれづれ』を出版しました。湯宿に嫁して半世紀。その泣き笑いをつづった本です。NHKカルチャー講座の通信教育で文章の訓練を重ねた末の出版です。
 この本が2年半でなくなってしまったので、増刷することになりました。完成した本を納めに行ったのが昨日の事。女将さんは、いつも以上の笑顔で迎えてくれ、ちょっとだけおぼつかない雰囲気の足元を気にしながら、お茶とお菓子を乗せたお盆を持ってきました。
 宿のフロントで、しばし「親子談議」です。かたわらには「実の息子」さんもいらっしゃいましたが、僕たちの間柄も、間違いなく「親子」です。久々に顔を見せた「息子」に、話したいことが山ほどある。そんな女将さんのお話が続きました。
 この日は、僕自身すぐに高崎に帰ってこなくてはならないこともあり、せっかく草津温泉のど真ん中まで行きながら、指先ひとつお湯につかることなし。
「今度は泊りがけできますから、ゆっくり話をしましょう」
 おかみさんにそう言いながら。

 実は、昨日は「もうひとりの父親」菊地一富さんにもお目にかかる予定でした。2014年に自分史『絆』を完成させた人です。
 ところが、急に都内の「実の息子さん」のところに用事が出来て、僕が草津に行ったのと入れ違いに、車で高崎にきて、新幹線に飛び乗って東京へ。
 女将さんには、できたばかりの僕の新著『情報を捨てる勇気と表現力』(言視舎)を手渡し、喜んでいただきました。
 菊地さんへの本は、留守宅の郵便受けに。玄関ドアから室内に入る形の郵便受けなので、不在でも安心です。
 月末あたりに、また草津に行って「母」や「父」から、本の感想でも聞こうかな、と。
posted by katsuhiko at 14:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記