『念ずれば花開く』とか『想いはかなう』は、単なる格言じゃなくて、本当のことだったんですね。しかも『無料で』花開いたんですから、なんとも。
◎大きな花器がほしい
高校の先輩に華道家さんがいて、その人が「大人がすっぽり入れるような大きな花器に、長い丈の花や枝を投げ入れるように活ける豪快な作品をつくる」のです。
その迫力が忘れられず「僕も、同じようなものを」の気分になってしまったのです。
でもね、そんな大きな花器を買えば、何十万円もするでしょう?
だから、仕事やドライブで農山村に行くたびに、「軒先に大きな水瓶が放り出してありませんか」と聞いて回っていたんです。
「こんなのがいるんかい? あげるから持っていきない!」
なんて声を期待して。
そんな想いを抱き続けていました。何年も「大きな水瓶がほしい」と念じ続けたのです。その末に花開く日がやってきました。
◎「よかったら、持って行けば?」
先日、安中市の市街地から奥に入った農山村に暮らしているご夫婦を訪ねました。
そこは、築140年の大きな建物と広い庭。都会から移住してきた人たちです。ちょっとした要件を済ませて、車に乗り込む直前に、特別な期待もせずに言いました。口癖ですからね。
「ご近所のどなたか、大きな水瓶なんて持ってませんかね? 『持って行くなら片づくから、あげるよ』なんて言う人は」
そしたら、奥様がひと言。
「庭の隅にあるわよ。古そうだけど大きな水瓶が。私たちが引っ越してきた時から、放り出したまま雨ざらしよ。よかったら持って行けば?」
指さす先を見ると、ありました。赤銅色した年代物の水瓶が。
メジャーで測ると高さ70センチで、直径は60センチ。大人がふたりでやっと持ち上がる重さです。重厚感と古さにあふれています。
「これこれ、使えるぞ。リビングの床に分厚い板でも敷いてその上に水瓶を置けば、床から花の先っぽまでが1・5メートルを超えるかもね。迫力満点だ」
「ところどころひびが入ったり、一部が欠けたりしているが、これはかえって値打ち物。瓶に水は入れられないから、中に別の花瓶を置いて花や枝を活けよう」
◎花開いた瞬間
後日、友人のワンボックスカーを借りて高崎市内の自宅まで運んできました。
内側・外側をきれいに掃除して、リビングのコーナーに。
ちょうどいい「台座」が、まだ見つからないので、そのうちに到達してくることにしましょう。
まずは適当に花や葉っぱを飾ってみました。それだけで、大きな花に変身したかのような気分にひたれます。
「長い木の枝なんか集めてこよう。ずっと挿しておけるから経済的だ。花ばかりだとお金がかかるからね」
自分が「念じていた」ものが、文字通り「花開いた」光景の出現です。