2015年07月27日

「新聞が読まれない」ってわかる気がする

◎異様な地方版

 新聞が読まれない時代になったと言われます。
 分かる気がします。
 地方創生とか、地方分権とかいった掛け声が高まる中、全国紙の群馬版にも毎朝目を通しますが、ここ一週間、やっぱり異様です。
 ふるさと群馬をどうやって盛り上げるか。大切な情報発信はたくさんあるだろうに、自宅で購読している2全国紙のうち、特に1紙は、2ページの群馬版の大部分が高校野球の県予選。
 全国大会を勝ち進んでいるのなら、まあ大騒ぎしても「仕方がないか」と思いますが、なに? この異様な紙面。
 まるで、戦後から高度成長期の「スポーツと言えば、野球と大相撲とプロレスしかなかった」時代みたいですね。


◎高邁な主張との落差

 日頃は「高校スポーツは教育だ」「甲子園目当ての野球留学はいかがなものか」「学校名を売り込みたいために、全国から有望選手をかき集めて」と、高邁な論陣を張る一方で、全国大会を主催しているという「あきんどのご都合主義」でしょうが、ほかのニュースはそっちのけで、高校野球ばっかり。
 もちろん、全国紙の支局って、おおむね1〜5年生記者という「新人の修業の場」が実態。その「記者の卵」的な人たちが書いた、舌足らずな記事よりも、まあ、高校生が汗を流して「投げた、打った、走った」を大げさに紹介しているほうが、「罪がない」ってことかもしれません。

 よって、この期間は、全国紙の群馬版を読む事もなし。
 おいおい、少年スポーツは野球だけ、なんて半世紀前の感性じゃないですか。
 こういう感性で「商品」を作り続けて、その挙句に、消費者に見放されるということに、気づいているのかいないのか。
 知名度、幸福度……、全国最下位争いがら抜け出せない群馬県。
 巻き返しを推し進めるには、もっともっと、発信すべきものがほかにあるはずですが。
 せっかくの「県内数万部」もの発行部数があるのです。もったいないなあ(T_T)/~~~
posted by katsuhiko at 11:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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