昨日書いた、父親の田んぼの稲(来週には稲刈りだそうです)を、自宅のリビングに飾ってみました。
朝起きたら、ほんのりと「稲穂の香り」がリビングに。
知り合いの俳句作家のおばあちゃんに、ひと束あげたら「お米を刈り取ってくるなど、罰が当たる」と。
さすがに「大正生まれ」の90歳。
なにをおっしゃる。あなたこそ毎日自宅に「生花」を飾っているじゃないですか。
罪もない植物を切り刻んで、自分の楽しみにしているのは「人間共通の悪行」にほかなりません。
本来なら、人間全員に「罰が当たる」のかもしれません。
さほどに、人間とは「本来罪深い存在」なのです。
僕は、罰が当るのも怖いので、罰が当たらないように、後日、飾った稲穂の「殻」を剥いて(これが「玄米」ですね)、釜めし弁当の「釜」で炊いて食べてみようと思っています。
米の生食から、土器を使った「炊飯」に移った大昔の人の気分でね。
無駄にしやしませんて(^^)/