友松さんは、最後の最後まで、人とはかくあるべしという視点を持った「律儀な教師」でありつづけました。
4月下旬に病院にお見舞いに行き、「先生。快気祝いは、先生の家の近くの『竹やぶの中のそば屋』だね。そこで盛りそばをごちそうしてよ。それ以外の返礼品は受け取らないよ」と、しばし雑談し、握手してきたのが最後となりました。。
友松さんとは数年前に、上毛新聞ひろば欄掲載300本をまとめた本を作ってからのおつきあい。
自分史や句歌集の著者とは、「親子」のような関係になって、おつきあいが長続きします。
命には限りがありますから、いつかは「お別れ」がくるのですが、「親の数が100人以上にもなる」僕にとって、やはり切ないものです。
歌集を横に置きながら、今一度、友松さんとそばをすすりたかったのですが。

これが、歌集『辰巳の空』です。

これは『辰巳の空』に収録した、友松さん幸子さんご夫妻のインド旅行の写真です。
有名な世界遺産「タージマハル」ですね。
歌集ではこの写真に、
それ見れば死してもいいと思ひたるタージマハルは眼の前に立つ
(平成25年6月27日 NHK那智勝浦短歌大会入選作)
という短歌を添えています。それくらい、大きな感動を手にしたということですね。
「上毛新聞ひろば欄に、300回掲載の後も、すでに160回以上載っています。通算500回になったら、301回目から500回目までの掲載作品を本にしたい」
友松さんは、そうも言っていました。
「あと3年かかるか、4年かかるか。それを生きる張り合いにしよう。次は米寿の記念出版だね」
いつも以上ににこやかに、そんな意欲を示していた友松さん。
ありきたりの言い方ですが、「天国から投稿を続けてください」と申し上げるしか……。
これも、人生ですかね。
友松稔先生が亡くなったと知り、検索して辿り着きました。
先生の元気そうな画像に泪が溢れてしまいました。
3年ほど前、お電話を頂き話したことがありました。
もっと話せたら良かったのに、と今更後悔しています。