◎エレベーターで「じゃあ、また」
日程的にタイトな仕事関係者だけにしか、今回の入院を知らせていせん。たった2週間ですしね。
そういった人たちが午後になると来てくれます。
簡単な打ち合わせのため30分で済む人から、インタビュー取材ということで2時間以上話し込んでいく人もいます。
病室は3階です。帰りには、エレベーターのところまでお送りするのですが、まあ、僕の方はあと数日で退院予定であり、もともと命にかかわるような深刻な治療でもないので、お互いに笑顔で分かれます。気楽なもんです。
エレベーターに乗る人が、僕に「じゃあ、また」。僕も「では来週後半にでも、また」といった感じの言葉を交わしながら。エレベーターのドアの一部はガラス張りで中の相手が見えます。下っていくまで、お互いに顔を見合わせて、手を振ったり笑顔で会釈したり。
なんでもない光景です。
◎過去に、たった一度だけ
一度だけ、いや〜な別れがあったなあ。病院のエレベーターで。
生涯でただ一人の親友が関西にいました。毎日新聞の同期入社だった男です。
ある年の暮れに、がんで入院したので、翌年春に群馬からお見舞いに行きました。
交通費だけで数万円。そうそう頻繁に行くわけにもいきません。
「僕が昔みたいに大阪に住んでいたら、毎日でも会いに行くのに」
歯ぎしりする思いでした。
そんな末に、思い切ってお見舞いに。
別段、変わった話をするわけでもなく、これまでと同じような会話。
「おい、早く退院しろ」
「そうだな、飲みに行こうや。病院はもうあきたわ」
普通に話して、普通に笑い合って1時間。
「そろそろ帰るわ。また来るからな」
そう言って、僕はエレベーターに。
やっぱり、ドアの向こうがちょっと見えました。
エレベーター内の僕も、廊下の親友も笑顔を浮かべながら。
「じゃあ、またな」
でも、僕は笑顔の裏でちょっと考えていました。
「これが別れのあいさつになるんじゃないだろうな」
彼は、どう思っていたことでしょう。いやいや、まさかそんなことは。
◎不安の的中
不幸なことに、僕の不安は的中しました。
その後親友の体をむしばんでいたがんは急速に広がり、深刻な状態になりました。そして夏に……。
ですから、病院のエレベーター前での「じゃあ、また」が苦手なのです。
「これが最後かも……」
なんてことは、今回の入院の場合、ありえないことだというのに。
そういえば、今年はその親友の13回忌。もう12年もたつわけか。
あいつが大好きだったビール片手に、思い切って墓参りにでも行ってみようかな。
親友の葬式の日、祭壇の遺影は、僕が谷川岳で撮ってあげたものでした。
「まともに笑っているのは、この1枚だけ」
奥さんがそんなふうに。
こんなことで、親友の役に立ちたくなかった。
「俺もお前も、お互いに嘘つきだな。最後の言葉が『じゃあ、またな』だなんてな」
遺影の前でつぶやいた言葉が、病院のエレベーターの前に立つと、よみがえってくるのが、いやなんだ、実は。
2017年07月28日
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